果てしなき流れの果てに

自由に書き自由に消す

オーダーメイド

自分の言葉で話したところで、それがどれだけ、そしてどのように伝わるのかわからないということがわかってから、目の前の相手に応じて、何を、どう話すか、少しは考えるようになった。オーダーメイドだ、と毎回心の中で思う。

あの頃は、考えていることと感じていること全てが言うに値するものだと思っていた。自分の言葉がみんなに通じるとも思っていた。あんな姿勢は、今思えば、あまりにも自己完結的だ。自分しか見えない時代から脱却でき、少しは大人になれてよかったと実感している。そして今のほうが楽しいと。

しかし、話すことはともかく書くこととなると、時々、あの頃に戻りたくなる。誰にどう伝わるかなどお構いなく、自分の言葉を公に出すことが唯一絶対の目的だった頃。発信や表現という言葉でアドレナリンが出たし、自分でxxxを名乗っていた。

今なら言える、それは公然の自慰と同義であると。公然の自慰より密室のまぐわいのほうに惹かれるようになって(なれて?)安堵するけれども、今度はやや密室的なものに偏りすぎて、鍵つきのSNSでしかものを書きたくない状態なのだが、たくさんの相手の顔を思い浮かべながら言葉を選ぶことは独特の疲れを伴うので、ふと、イタかったあの頃に戻りたくなる。

とはいえ、そんな勇気はなく、そして公開されている痛いブログを使い続ける気もなく、とりあえずこのヒミツの空間に戻ってきてみたところだ。