果てしなき流れの果てに

自由に書き自由に消す

150万人のユダヤ人の子どもたちのことは誰も覚えていてくれない

エヴァの震える朝』という本を先日、手にした。
表紙の中で静かに微笑む少女の写真に魅了されたからだ。
この本には15歳の少女が生き抜いたアウシュヴィッツという傍題がつけられている。

この手記を書いたエヴァ・シュロスはアンネ・フランクの義姉ということで注目を浴びたが
そのような肩書きはどうでもよく、このエヴァ・シュロスという少女個人の人生の手記として本作を読んだ。

 

本を手にしてまずはざっと目を通し大体の内容を把握した。
幾つもの小さな奇蹟が訪れ、少女はその一つひとつの奇蹟に導かれるようにしてアウシュヴィッツを母親と共に生き抜いた。
まず"選別"の時点から奇蹟は起こる。
通例、15歳に満たない子どもは収容所につくと即ガス室行きとなったそうだ。
しかし、エヴァの場合は母親が「スーツケースは取りあげられてしまうかもしれないから、せめてこれを身につけるのよ」と15歳の少女にはあまりにも不恰好な大人びたコートと帽子を身につけさせられる。
この母親の行動が功を奏し、エヴァガス室行きを免れ母親と共に収容所生活を送ることになる。
多くの母親たちは"選別"の時点で娘を失っており、二人の親子は収容所内でも羨ましがられたという。
またエヴァが高熱を出した際にガス室行きになることを恐れながらも病院へ向かうと、病院内で従兄弟のミニという看護婦が収容所で偶然にも働いており、母親がミニを見つけ思わず声を上げ抱擁する。
このミニという看護婦から母親とエヴァは食べ物を余分に与えて貰うこともできたという。
「死の天使」の異名で恐れられたメンゲレ博士に母親が"選別"された際もこのミニの助けによって死から逃れられ親子は奇蹟的に再会を果たす。
やはり人間というのは「運」からは逃れられず、この「運」によって人生が左右されるものなのだと深く実感させられる実話だ。
もし、エヴァが収容初期段階で高熱を出し病院に行っていなければ、母親の付き添いがなければ、ミニに出会うこともなかっただろう。ミニがいなければ更に酷い栄養失調で母子共に餓死した可能性もある。
まして一度は"選別"された母親はミニの存在がなければ間違いなく火葬場の煙と化したに違いない。

では、亡くなった人々はこの「運」が無かったのだろうか……と考えると「きっと違うと思いたい」という気持ちと、「事実、そうかもしれない」という気持ちが交錯し複雑な感情が胸に渦巻く。
エヴァは収容中、神などこの世界には存在しないと考え、また人が善であることを信じられなくなったという。
収容所から生還後は一時期無神論者になるも年月が過ぎるにつれ、やがて敬虔な信仰心を取り戻したという。

 

ビルケナウ(アウシュヴィッツ)では実際に命の危機を感じたことがたくさんありましたが、私は希望を失いませんでした。
希望を失えば、すぐに死んでしまうのです。ですから私たちは諦めることだけは決して、しなかったのです。

このようにエヴァは告白している。

 

収容所から生還した心理学者ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』においても「クリスマスには家に帰れる、という希望を失った者たちがこの時期大量に死んでいった」という記述がある。
過酷な労働、精神の崩壊、死と隣り合わせの日々…あらゆる恐怖と身体的疲弊・緊張・飢餓の中においても希望を持ち続けた人間の生存率が高かった、というのは非常に興味深いものだと思う。
フランクルの著は心理学者であるだけに心理学的側面から収容所生活という状況を見た非常に俯瞰的視点を持って書かれている。
その点では本作は個人の感情・体験の描写がよりリアリティーを持って書かれているがゆえに収容所内部における家族愛という稀なケースの中での側面が深く窺える。
臨床・学術的観点では図ることのできない人間の感情の揺れ動き、
そして過酷な状況におかれても愛を求め家族を愛する人間というものの存在が生々しい。